書いたのを読むことが好きすぎる
わたしの母語は日本語だ。
しかし、このブログに記事を書いている人の大半は、日本語が母語ではない。
大学で日本語を勉強している人たちだ。
もともとこのブログは、授業のスピンアウトみたいなもので始まった。
宿題でも課題でもない。
いまさらこんなことをいうのもなんだが、
記事を書いている人は、なぜ書いているんだろう?
ところで、このブログは5月15日から記事の更新が止まっていた。
さみしいが、しょうがない。
おそらくみんな6月の試験のために勉強している・・・はずだ。
そして、そんなわたしも
学生として受けるべき試験が3つある。
日本語の授業を担当しながら、大学院修士2年生をしているからだ。
つまり、わたしも試験勉強に没頭?しているべき時期だが、
記憶が薄れないうちに書かないと、
感情ごと忘れそうなので、今日は書いてみることにした。
今期の授業は先週すべて終わった。
コロナウィルス流行で大学閉鎖、
オンラインでの日本語の授業が余儀なくされた。
が、これ、毎回、ほんとうに楽しかった!
(反論など気にせず、率直に自分の考えを言えばだ。)
楽しいというより、贈り物という感じがした。
書くまでもないが、仕事にいやな部分はある.
それがないという意味での、楽しい仕事というわけではない。
それより、自分の「仕事」とされることのなかに、
自分が好きすぎることがある!ということを発見したのだ。
それは、学生が書いた文章を読むということだ。
これが好きだってこと、前からうすうす気づいていた。
でも、このブログに付随するいろんな活動のおかげで、やっと意識化するにいたった。
学生が書いた文章を読んでいるうちに、
あっもうこんな時間になっていると思う時がある。
そして、ここが重要なんだが、
その文章の文法の間違いなどを直すことを要求されていない場合
(自分がしないと決めている場合)、
読むことが最高に楽しくなる。
これはたぶん自分の問題である。
この文を直すのが自分の役割だという責任感?が、
文章を読むことを楽しくなくさせるのかな・・・
まだ自分でもよくわからない。
そもそも、文章を修正したり、
推敲したりするプロセスはいいことだと思っている。
実際に、学生が書いた文章の、
は、とか、が、とか、に、とか、へ、とかを直そうとしてみるときもあるし、
直せる時はそうする。
でも、すでに文章として成立しているその文章は、
正しい/間違っているが、はっきりあてはまるようなものではない。
それに気づかされることが多い。
たしかに自分なら、ここで、この助詞は使わない。
なんなら、わたしの父も母も、あの友達も使わないだろう。
それはそうだ。
でも、これを直したら、この人の文章のかもしだしている、
いい感じのその人感まで消滅する気がする。
そして、母語がイタリア語であることがみえる、
なんとも言えないおしゃれ感。
これに、うらやましくなるときもある。
そして、不思議に思う。
その人なカンジを決定的にしているのは、その文章のなかにあるナニなんだろう?
どれをなくすと、もうその人なカンジじゃなくなるんだろう。
ちなみにわたし、
学生のいいところを見つけて、
伸ばしてあげようみたいな考え方、
あんまり好きじゃない。
そう思ってるって思われるのは、
すごい嫌なので、
誰も思ってないとしてもここに書いとく。
学生の書いたものを読んでよく感じるのは、
「この人、おもしろ!」「個性強!」「どうして、こんなこと書いてみようって考えついたんだろう」、
そして「わたし、負けた」だ。
だから、伸ばしてあげるというより、
そのおもしろいとこ、なんで隠したままで平気なんだ。
だしおしみしないでおくれよ、お願いっ、という気持ちである。
学生のなかには、
ブログで自分の書いた記事を公開する前に、
わたしに目を通してくれという人もいるし、
そんなことせず自分でどんどん更新している人もいる。
どっちでもいいし、どっちもいいという気がする。
どっちの人もいて、うれしい。
まだ記事を書いてないけど、
今度こんなテーマで書いてみたいな!
おもしろいかな?つまらないかな?と話してくれる人もいる。
それもうれしい。
ところで、日本語が母語じゃない人が書いた日本語の文章、
その文法のまちがいを指摘しないという姿勢。
これは1年半前くらいに、人から教えてもらったことだ。
その人はわたしの恩師といってもいいし、
今は同僚と言ってもいいのかもしれない。
それを最初に聞いたときに、
「はぁ、いいんじゃないでしょうか」くらいで、
大きく感動せもせず、大きく反発もしなかったと思う(記憶があまりない)。
でも、それは転換点だった。
その姿勢のおかげで、わたしは数々の予想外の感動を手に入れることになった。
そして、この姿勢の不思議さに、ずっと魅了されている気がする。
この姿勢を教えてくれた人への感謝、
そして、日本語で文章を書いてくれる人、
わたしに読ませてくれた人、
これからも読ませてくれるだろう人への感謝が尽きない。
この不思議さ解明への情熱も尽きないので、
またこれについてわたしも何かを書くと思う。
(にしだ)
ドラゴン桜の国語の先生、太宰府治。名前www
わたしも、金子みすゞ美とか村上春子とかいうのに改名できるかな???
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