ヴェネツィアで家を探す①
ヴェネツィアに引っ越してきたのは去年の7月。
賃貸の契約があと2ヶ月で切れるので、
あたらしい家を探さなくてはいけない。
この小さなアパートは
ヴェネツィアのいいところと悪いところ、
両方を均等に体験させてくれた。
まず、いいこと。
友人がよくお茶を飲みにきてくれた。
これは、この街の魅力のおかげ。
人を誘うのが得意じゃないが、
ちょっと立ち寄ってねと誘っても、
きっとそんなに迷惑じゃないだろうという気がしていた。
また、日本からも代わる代わる友達がやってきた。
年に数日の貴重な休暇なのだから、
彼らは楽しむための本気度が違う。
今まで食べたことがないような店に連れていってもらい、
地元の料理やお酒を体験させてもらったのは、わたしのほうだった。
わるいところは、すべて水の冷たさからくるものだった。
2019年のアクアアルタは記録的だったそうだ。
2階にある部屋から、
狭い路地が水路に変わっているのを眺める日が続いた。
アクアアルタの警報としてなるサイレンは、
ほんとうに切ない音色だった。
日がほぼ当たらないこともあって、部屋は一日中寒く冷たかった。
コロナウィルスのため外出が制限された3月、4月にも
その冷たさは残っていた。
石の床のうえにマットをひいてヨガをしても、
かえって冷たさが体中に回る気がする。
40歳が近いわたしの体に、
このような冷えは天敵なのだから、ベッドでの昼寝を選択した。
収入のほとんどは家賃と光熱費に消えた。
でもその価値はあった。
と自分が納得しているのだから、いい。
しかし、これからも外出が制限されるかもしれない、
在宅での仕事が多くなるかもしれない、
前のように、わたしの家に人が訪れないかもしれない。
それでもやっぱりこの街にがんばって住みたいだろうか。
30代のはじめ、やはり都内にがんばって住んだことがある。
千葉の実家に住むことが精神的に耐えられなくなって、
縁もゆかりもない文京区根津にアパートをみつけたのだった。
この一人暮らしは経済的には負担が大きかったが、結局3年間続いた。
その3年のなかに、都内の小さなイタリア語の学校に通うという小さな決断があって、
それがヴェネツィアのアパートに住む今の自分につながる。
泣ける・・・
でも、感傷的になったころで家はみつからないのである。
さあ、どうしようか。
つづく(予定)
(にしだ)
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